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おとうちゃん、新世界もずいぶんと変わったんよ [おらが町の景色]

古い写真は、おそらく昭和31年の秋から冬、二代目通天閣が建った直後、父がそれを見物に行った時に、現在の天王寺公園にある大阪市立美術館前あたりから、誰かに記念として撮ってもらったものでしょう。

父は昭和7年8月1日生まれですから、この時は24歳ということになります。

青木康夫彼は昭和42年1月9日、34歳の時に結婚し、昭和45年に私が生まれるので、当然、この時は私など存在していませんし、きっと母とも出会っていないはずです。

父の父が行商をやっていたと聞いたことがあるので、おそらくそれを手伝っていたか、あるいは、工事現場で働いていたかのような写真がけっこうあるので、もしかしたら日雇いの作業員とかで飯を食っていた頃かもしれません。

とにかく、ボッーとなんも考えてないような顔で、粗末なズボンにごわごわのジャンパーを着て、厚手の作業用靴下にゲタ履いている姿からは、贔屓目に見ても羽振りがいいようには見えません。公務員の職を得て生活が安定するのは、これからまだまだ先の話です。

青木康夫の長男そんな父がこの地で写真を撮った55年後に、私も同じと思われる場所で写真を撮ってもらいました。

写真の父と比べれば、アゴの下に肉がつき、お腹はでっぱり頭は禿げあがって、なんだかどっちが子供なのかわかりませんが、父が今の私の年齢の頃は、スリムな体型でフサフサの髪の毛を七三に分け、妻や子を養うため精力的に仕事をこなし、当時の典型的な社会人として、一生懸命堂々と生きてはったはずです。

しかし、私はといえば、親なら望むであろう生き方からはほど遠く……いやはや、このような有り様で申し訳ない。( ̄~ ̄;A

たぶん父の性格からして、お叱りを受けることはないと思いますが、お詫びはいつかあの世に行ってからゆっくりとさせていただきます。

私の話はおいといて、この辺も半世紀以上経てば風景は一変します。
父が知るアウトローな街も、今や小綺麗に整備され、派手なネオンやハリボテで彩られた飲食店が乱立する観光地となり、国内外から観光客がワンサカ訪れています。

天王寺公園新世界串かつ だるま

それはここの何かが変わったからそうなったのか、変わらないものがあるからそうなったのか、そのへんはちょっとわかりませんが、大衆演劇の芝居小屋や映画館も、立ち飲み屋に大衆食堂に喫茶店、将棋囲碁クラブに雀荘も、今もって下町の風情で元気に営業してはります。

ジャンジャン町三桂クラブ新世界国際劇場

それでも、父がこの辺をブラついていた頃にくらべれば、相当様子は違うのでしょう。
寡黙な人でしたが、きっとこの変わりようなら「ここにこんな店があった。こんな人おった。こんなこと起こった。こんなんは無かった。」などと興奮して話さはるかもしれません。
それならちょっと聞いてみたい気もします。

タグ:古い写真

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