生まれ育った町を歩いて(東の地区) [おらが町の景色]
昨年末、34歳の夏まで住んでいた町を数年ぶりに歩いた。
町はずいぶん様変わりしていたが、記憶にあることを少しだけ書きとめておこうと思う。
生家と駅を結ぶ線路沿い道、途中、踏み切りを渡ると商店街。
入り口にはレコード屋さん。
白髪まじりの小柄なおじさんが経営されていて、後に息子さんに代わった。
店は二人の人柄が表れたような整然とした綺麗な店内で、二人とも物静かな感じの人でした。
当時はテープもレコードも高価だったので両親に買ってもらったのかもしれないが、ここではじめて買ったテープは中島みゆきの「臨月」か松山千春の「起承転結Ⅱ」のどちらかだったと思う。
レコードは中学生の頃に買った、Band Aidの「Do They Know It's Christmas?」か。
先日亡くなったデヴィッド・ボウイやジョージ・マイケルも参加していたチャリティー企画ものだ。
しばらく歩くと、商店街が一旦途切れて川が流れています。
その橋のそばには眼科の診療所。
医師は、頬肉の垂れた顔に黒縁のメガネをかけた破顔が優しげなお婆ちゃん先生で、看護婦さんは大きなお口に真っ赤な口紅を塗った愛想の良いおばちゃん。可愛がってもらいました。
橋を渡り商店街を進むと、仏花を買っていたお花屋さん、葬儀屋も兼業していて父母の葬儀もここにたのんだ。
今はありませんが、その先には友人の彼女がアルバイトしていたお持ち帰り専門のお寿司のチェーン店があり、その向かいにはパン屋と惣菜屋が一体となったお店があった。こんもり盛られた鶏カラ弁当がおいしかった。
さらに進むと、年の瀬などの忙しい時期に同級生何人かがアルバイトをしていたスーパーがあり、その隣が子供ながらによくわからないアレルギーとかで通わされていた耳鼻科の診療所。不可思議なガラスの器具を鼻に突っ込み治療していた。
また、商店街から少しのところには中学校と中学校のグランド。
土曜日は半ドンだったので、クラブ活動をしていた者はお昼ごはんをこの商店街によく買いに行った。
道路を挟んだ向こうの商店街には、高校受験の際に腕時計を買ってもらった時計屋さん、
中学で陸上部に入り、同級生の部員仲間とスパイクなどを買いに行ったスポーツ用品店、
立ち読みと万引きに目を光らせていた本屋兼文房具屋さんがあった。
商店街を抜けたところには私鉄の駅。
計ったように仕事から定時で帰宅する父をよく迎えにいった。
ある時、仕事帰りの父におもちゃをねだり商店街で買ってもらったが(ゲームウォッチだった)、母が理由もなく買ってきたことに激怒し、父はすぐさま返品に行き、ぬか喜びの私は大いに拗ねたという悲しい記憶もある。
商店街から少し離れた川沿いのプラモデル屋さんへは、ガンプラ目当てに足繁く通い、その近くの開業間もなかった理髪店では、高校生の時初めてパーマをあてた。友人からはヘンテコなパーマと揶揄されたがそれはお店のせいではない。
その理髪店は今も営業していて、ずいぶんとおじさんになった店主が髪を切っていた。確か綺麗な奥様もいたがお元気だろうか。
そして、週刊マンガを読むために通っていた喫茶店でお昼ごはんを食べる。
マスターは頭髪のほとんどが白くなり、顔のシワも増えてずいぶん年老いたという印象。
そういう自分もすっかりおじさんなのだから当然だ。
でも、お決まりのビーフドリアの味はあの頃のまま。
もうマンガは読まなくなったが、思い出の一品をいただき懐かしい気持ちになりました。
次は住まいのあった西の地区のことを。
町はずいぶん様変わりしていたが、記憶にあることを少しだけ書きとめておこうと思う。
生家と駅を結ぶ線路沿い道、途中、踏み切りを渡ると商店街。
入り口にはレコード屋さん。
白髪まじりの小柄なおじさんが経営されていて、後に息子さんに代わった。
店は二人の人柄が表れたような整然とした綺麗な店内で、二人とも物静かな感じの人でした。
当時はテープもレコードも高価だったので両親に買ってもらったのかもしれないが、ここではじめて買ったテープは中島みゆきの「臨月」か松山千春の「起承転結Ⅱ」のどちらかだったと思う。
レコードは中学生の頃に買った、Band Aidの「Do They Know It's Christmas?」か。
先日亡くなったデヴィッド・ボウイやジョージ・マイケルも参加していたチャリティー企画ものだ。
しばらく歩くと、商店街が一旦途切れて川が流れています。
その橋のそばには眼科の診療所。
医師は、頬肉の垂れた顔に黒縁のメガネをかけた破顔が優しげなお婆ちゃん先生で、看護婦さんは大きなお口に真っ赤な口紅を塗った愛想の良いおばちゃん。可愛がってもらいました。
橋を渡り商店街を進むと、仏花を買っていたお花屋さん、葬儀屋も兼業していて父母の葬儀もここにたのんだ。
今はありませんが、その先には友人の彼女がアルバイトしていたお持ち帰り専門のお寿司のチェーン店があり、その向かいにはパン屋と惣菜屋が一体となったお店があった。こんもり盛られた鶏カラ弁当がおいしかった。
さらに進むと、年の瀬などの忙しい時期に同級生何人かがアルバイトをしていたスーパーがあり、その隣が子供ながらによくわからないアレルギーとかで通わされていた耳鼻科の診療所。不可思議なガラスの器具を鼻に突っ込み治療していた。
また、商店街から少しのところには中学校と中学校のグランド。
土曜日は半ドンだったので、クラブ活動をしていた者はお昼ごはんをこの商店街によく買いに行った。
道路を挟んだ向こうの商店街には、高校受験の際に腕時計を買ってもらった時計屋さん、
中学で陸上部に入り、同級生の部員仲間とスパイクなどを買いに行ったスポーツ用品店、
立ち読みと万引きに目を光らせていた本屋兼文房具屋さんがあった。
商店街を抜けたところには私鉄の駅。
計ったように仕事から定時で帰宅する父をよく迎えにいった。
ある時、仕事帰りの父におもちゃをねだり商店街で買ってもらったが(ゲームウォッチだった)、母が理由もなく買ってきたことに激怒し、父はすぐさま返品に行き、ぬか喜びの私は大いに拗ねたという悲しい記憶もある。
商店街から少し離れた川沿いのプラモデル屋さんへは、ガンプラ目当てに足繁く通い、その近くの開業間もなかった理髪店では、高校生の時初めてパーマをあてた。友人からはヘンテコなパーマと揶揄されたがそれはお店のせいではない。
その理髪店は今も営業していて、ずいぶんとおじさんになった店主が髪を切っていた。確か綺麗な奥様もいたがお元気だろうか。
そして、週刊マンガを読むために通っていた喫茶店でお昼ごはんを食べる。
マスターは頭髪のほとんどが白くなり、顔のシワも増えてずいぶん年老いたという印象。
そういう自分もすっかりおじさんなのだから当然だ。
でも、お決まりのビーフドリアの味はあの頃のまま。
もうマンガは読まなくなったが、思い出の一品をいただき懐かしい気持ちになりました。
次は住まいのあった西の地区のことを。
タグ:大阪
2017-02-26 15:57
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